熱いビートちょうだ〜い!

桐山照史くんのソロコンまで死ねない

さあ、おいでなさい。音楽が待っています。

よろしくってよ、トルアツーモさん。

 

 

人それぞれ捉え方は違うだろうしあくまでわたしのなかでのアマデウスだけどちょびちょびまとめてます。

もの好きな方だけ覗いてやってください。

※オススメはしない!

 

 

 

 劇場に入ったときから舞台は始まっているとは言い様で。

いつのまにか真ん中にぽつりと現れた、、現れていた人物にだれ?と頭を傾げながらそのはじまりを待っているとどこからともなく聞こえてくる"ウワサ"

サリエーリ……サリエーリ……

 

_____一八二三年、晩秋のウィーン。街中のいたるところで、信じがたい噂が囁かれていた。三十二年も前に亡くなった音楽家ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトを暗殺したと今になり告白した人物がいた。七十歳に達する宮廷楽長アントニオ・サリエーリである。

 

 

始まりのわかる舞台ではなくて、現実と舞台の狭間がなくなっている。正確には「わからない」のがアマデウスで。

それがまたとても魅力的。

どこか不気味で寂しい。

まるでその世界がいまの世と繋がっているかのように。

 

 

サリエーリ……サリエーリ……

 

風の声に息を呑む。

後方からいつのまにか現れたその風たちが舞台への招待状で。

 

 

信じられん。

信じられん。

 

 

最初の場面で既にサリエーリが自ら発した"ウワサ"についてだれもが信じていなかったことを大きく描いている。

 

結局それはほんとうなのか?

 

 

生涯ジャニヲタのわたしはもちろん幸四郎さんのお芝居を拝見するのがはじめてでただただ圧巻の嵐……

最後の最後まで舞台へ出ずっぱり……

つまりあくまでサリエーリの頭の中での話(サリエーリが発した"ウワサ")であることがわかる

どうすればあそこまでのセリフ量をすらすらと、、

「っ」で区切る幸四郎さんの言葉紡ぎが印象的

 

未来の亡霊たちよ

 

この言葉でわたしたち会場全体がこの舞台の出演者であるかのように思わせる。物語の語り手はサリエーリだ。

サリエーリの視点によって描かれサリエーリに共感を求めさせようとも捉えられる。

 

呪文をかけ、わたしたち未来の亡霊たちに「よく見えるぞ」とずっと遠くまで見渡すサリエーリ。

 

幸四郎さんは本当にわたしたちが出演者であるとでも言うように話しかけてくるようなお芝居でここである意味勘違いを起こしてしまいそうになるのがまたたのしい。

 

三十年と離れた昔と七十歳のいま。

 

これがまた圧巻で。

サリエーリが自ら発する"ウワサ"の世界への切り替えがとても緩やか。

 

目で見える衣装やカツラの転換だけでなく声の変化で聴覚をもその世界へと連れ去られた。

 

_____一七八一年。宮廷作曲家サリエーリ。この若き成功者には唯一、気に掛かることがあった。それは、弱冠二十五歳のモーツァルトの驚くべき評判の高さである。

 

「わたしには無いものばかりだ。」

 

わたしたちもよく知るモーツァルトである。

"無いもの"

なによりサリエーリが神に頼んだ、求めた、『名声』を弱冠二十五歳にして持ち合わせていたのが彼であった。

 

 

_____モーツァルトがウィーンにやって来ると聞いたサリエーリは警戒しながらもその演奏会場へ足を運ぶ。

 

 

サリエーリがそこで見た『もっていないものをもっている』モーツァルトはフィアンセのコンスタンツェと卑猥な言葉を口走る、行儀の悪い、軽薄な、子供っぽい青年……

 

 

この場面がモーツァルトの初登場シーン。

 

チューチューチュー♡

 

と声高く表れたモーツァルト改めあきとくんの姿。目でも耳でも掴む情報は自担でありながらあまりにも想像とかけ離れたものばかりで。

 

モーツァルト登場で劇場全体に笑いが起こるのも桐山担としてはとても嬉しくて 。

幸四郎さんが好きでアマデウスを見に来ていたり、舞台が好きでアマデウスを見に来ていたりする方々も一緒になって笑ってて嬉しいな〜ってのはあきとくんと一緒です。

 

彼を知ったこの日からサリエーリは彼を妬ましく、また敵対する対象とする。

 

もっとも釣り合わないのだが。

 

演奏会場から聴こえてきた音楽はサリエーリが見たそれではなかった。

下品で卑猥な言葉を口走るあのモーツァルトでは。

 

そう言い聞かせたかった。

 

 

聴くまいと自宅まで逃げ戻ったサリエーリはこの感情は「ああいう奴にも音楽ができる」ことへの驚きだと蓋をした。

 

モーツァルトと会うことを避け、モーツァルトの音楽ばかりを集めさせたサリエーリは完全に敗北していた。

彼の音楽の1番のになっていたのは紛れもなくサリエーリであった。

 

 

モーツァルトは学校でも習うような有名な人物。しかし、当時周りからの評価はそこまでのものではなかった。

 

彼の才能に気づけるものが"少なかった"というのがもっともらしい言葉であろう。

彼の才能はあまりにも凡人とはかけ離れていた。 モーツァルト(以下ヴォルフィ)は天才すぎたが故に世間には見合わない、対等のものがいないから自分の実力を認めてもらえるひとがいなかった。

父以外で唯一、才能やその変化に気づいていたのがサリエーリだったのだ。

 

ヴォルフィの成長を1番に感じ取っていたのもサリエーリ。

 

ヴォルフィの登場曲のためにと作った曲も「この4のとこどうも上手くいってないね?3度高くしてみよ!」とまるで自分の曲かのように目の前でそれを楽しまれてしまう。

 

憎い…憎い……憎い

 

そしてサリエーリはあることを思いついた。

ヴォルフィを突き落とすためのあること。

 

 

それが、ヴォルフィのフィアンセであるコンスタンツェに手をつけるということであった。

 

玉突きが得意だ……ンンっ^^失敬

 

というヴォルフィとは反してサリエーリはあまり女に手を出してこなかった?

 

ただ、どうしても彼は。

どんな手を使ってでも彼は。

ヴォルフィへの嫉妬をにしたかった。

 

ヴォルフィがいなくなったのを見計らって、コンスタンツェを家へ呼んだ。

 

コンスタンツェはヴォルフィの楽譜を持ってサリエーリの家へ足を運ぶ。

 

接吻。一度きりの。

 

「それでいいと思うなら。」

 

結果、二度の長い接吻を交わす2人。

 

コンスタンツェは誰のために?

ヴォルフィのため?

それとも?自分のため?

 

サリエーリの企み。

これは結局失敗に終わった。

 

残されたヴォルフィの楽譜と対敵する。

やっとの思いでそれを開くと聴こえてくる自分には生み出せない音楽。

一晩中考えた。なぜ神が……?

 

 

 「神を嘲るなかれ?ふざけるな!人を嘲るなかれだ!!!!!」

 

ヴォルフィが神の声であると悟ったサリエーリはついに神を永遠の敵として対峙する。

 

 この物語でのサリエーリの敵は最初からヴォルフィではなくであったのだ。

 

 

1幕の終わり頃から痛みに顔を歪める姿が何度があってただそれに気づいているのはヴォルフィ自身だけで。
誰にも気づかれず、気づかれないようそれがたとえ妻のスタンツェの前であっても明るいモーツァルトを演じ続けていたのが印象的なヴォルフィです。

 

_____膀胱は人間の附属機関であって未来の亡霊の君たちにはあまり関係のないことだがわたしのような老人にはしばしばお呼びがかかる。とサリエーリの言葉で終わる1幕。

あまりにも自然で滑稽さまで感じるほど。

これがまたアマデウスの大好きな世界観。

 

 

 

 

 

「で、どこでするの?……ここでするの!?」

 

再び、サリエーリの前に現れたコンスタンツェは脚を大きく開き、覚悟を決めた様子。

 

「さぁ!取り掛かりましょうよ!」

 

そんなコンスタンツェとは一転、サリエーリは彼女を突き返し二度と姿を現すな、とまで。

 

 

 

仕事のないヴォルフィは自分の音楽についてサリエーリを含めたフリーメイソンの高貴な人々の前でいつも通り話し始めます。

 

2幕ではこのシーンが1番大変そうだなって思ってて、とにかくセリフ量が多い……

ヴォルフィの独壇場と言っても過言ではなさそう。

そして、フリーメイソンの会員3人の声色に合わせて心の中ではこう考えているでしょ!?のヴォルフィがまた上手でいつも聞き入ってた。劇場自体の笑い声も大きくて楽しい。

 

 

ヴォルフィにとって父の存在は偉大であった。自分を認めてくれるのも、また制御してくれるのも父であった。

サリエーリに"たのしそうに"父の陰口を話している場面で風たちがウワサを運んでくる。

 

 

レオポルト・モーツァルトが死んだ

 

 

ぼくは、ぼくは、どうしたらいい?

ぼくを正してくれる人は父しかいない。

 

 

 アマデウスではサリエリの心の声の場面で静のお芝居が入るんだけれどヴォルフィの父が死んだと知らせが来たあとだけサリエリが心の声(であろうもの)を発してもヴォルフィは悲しみに捕らわれていくお芝居が入る。
そして最後の最後、ほんの一瞬だけサリエリに神が乗り移っている描写がある。
これはどういうことだろうか。

 

 神とは?一体?

前述にもあるようにサリエリが対峙していたのはヴォルフィではなくであった。

 

 

ここでわたしは一旦答えが提示されている第一終焉だと思っていて。

 

ここからというものサリエリの思う壺だとは言いようでどんどん貧乏に。衰弱していくヴォルフィ。

 

公園で弱り切ったヴォルフィがスタンツェに支えられながら歩くシーン。

サリエリに対し感情を剥き出しにしてしまうスタンツェに「およし」と一言優しく放つヴォルフィがすきで。

 

いつからか灰色の男がヴォルフィの夢に現れるように。

その”灰色の男”は手招きをするのだと話すヴォルフィ。

 

こっちにおいで、こっちにおいで

 

 

スタンツェとの間に子どもが誕生したもののこの苦しい生活で…

育てられるわけがない。

 

あることがきっかけでスタンツェさえもヴォルフィのもとを離れてしまう。

 

灰色の男が現実世界のものなのか夢の中でのものなのか自分でもわからないと酒を浴びるように飲みながらサリエリに訴えかけるヴォルフィはもうサリエリの手の中で。

自分の膝をぐっと抱え込んでそのなにかに怯えるヴォルフィを慰めるのは奇しくもサリエリなのであった。

 

灰色の男はヴォルフィにレクイエムを書けと話します。

誰のものかもわからないレクイエムを取り憑かれたかのように一日中寝るまま惜しんで書き続けるヴォルフィ。

 

灰色の男が毎日時間を伝えに来るたび怯えた目をしてまたそのだれのものかもわからないレクイエムを完成させようとペンをとるのであった。

 

それが自分のレクイエムなのだとヴォルフィはきっとずっともっと前から気づいていて。

 

ヴォルフィ”最後の”場面。

灰色の男がいつものように近づいて来たかと思えば今回は何か違う。

ヴォルフィが必死で書いていたレクイエムの楽譜をじっと見つめる灰色の男。

 

泣き出す。

 

何かに気づいたヴォルフィがふっと灰色の男のお面をはずすとそこにはよく見知った顔があった。

 

サリエーリ……

 

サリエリはヴォルフィの書いた楽譜をよんだかと思えば飲み込んでしまう。

 

怯えて机の下に潜り込むヴォルフィをさらに追い詰めるかのようにバンッバンッと強く机を叩きます。まるで悪霊を追い払うかのように。

 

頼むから死んでくれわたしの前からいなくなってくれ

 

サリエリが望んだものはヴォルフィの死だったのだろうか?

サリエリが本当に望んだものは名声。

”ヴォルフィの浴びる”名声だった。

 

底の底まで追い詰められたヴォルフィは赤ちゃん返りしてしまいます。

パパ……

 

パパ…パパ……

 

自分のことをドン底まで突き落としてきた相手をパパと呼ぶヴォルフィ。

 

ねぇ、キスのうたうたおう?おぼえてる?

よくいっしょにうたったじゃん!

 

オラーニャ…フィアガッタファ…マリーナ…チュッチュッ……

 

サリエリにグッと包み込まれたヴォルフィは目に涙をいっぱい溜めていて。

 

ヴォルフィはどうして泣いていたの…?

 

サリエリが離れて行った後もパパとの思い出のキスのうたを歌い続けるヴォルフィ。

 

どんどん下を向いて涙が溢れて。

 

ヴォルフィ……、?

 

そう呼んだのは出ていったスタンツェで。

ヴォルフィのお世話をしに戻ってきたのだと言う。

 

サリエリにね、どくをもられたんだ、

 

そうねぇ、大丈夫よ、そうねぇと全てを受け止めていた(ように見えた)スタンツェ。

 

スタンツェからも見放されどんどん弱っていく姿にさいごは報われずそのまま孤独に死んでいくのだと思っていたところに戻ってきたスタンツェ。
よかった、愛した愛されたひとのもとで息を引き取れる。

 

「私と一緒にいて楽しかったでしょ?」

 

スタンツェがヴォルフィに想いを伝えている最中に手に持った自分のレクイエムのカケラを手からヒラヒラと落とし息を引き取ります。

 

 

 


ヴォルフィが死んだあとスタンツェはヴォルフィのことを純粋なひとだったと言ったり音符の数で値段を決め楽譜を売り捌いたり、「あなたのお世話をするために戻ってきた」と弱りきったヴォルフィを介抱していた姿は本心ではなかったのか……?

 

わたしのなかで一番謎が多い人物はコンスタンツェで。

2回目の観劇で気になったのはスタンツェの「最っ高」のタイミング。
自分のことをあげてくれる(褒められる)ときにこの言葉が出るんです。
スタンツェはただただヴォルフィという天才を踏み台にしたかっただけなのではないか。ヒロインになりたかっただけでは?

 

大好きな2人だけどわたしはヴォルフィとスタンツェはどこかお互いに騙しあって生きていたのかなと思ったり。

 

でも結局これは頭のおかしくなったサリエリが突然言い出したこと。
これが真実なのかそうでないのかを知るものは当人達以外だれもいない。

 

 

【 余談 】

ピアノ弾くシーンは本当に楽しそうに弾くんだよね、、和音のダンダンが音と合ってるのとかここの細かいところまでいっぱい練習したんだろうなとか。本当に本当に弾いているようにしか見えないしあきとくんにモーツァルト乗り移ってるし!あとヲタクのエゴとしては今回のユニ曲まあ85%くらい三線があきとくんだと思うけどピアノだったらもうアマデウス懐古厨毎回泣くから…

 

 登場から1幕終わり少し前ぐらいまでただただおちゃらけモーツァルトあきとくんでかわいいかわいいなのに2幕に入ってからはモーツァルトの死期が近づくのを感じさせるかのようにどんどん弱っていくモーツァルトに早がわりしてしまうあきとくんが本当に好きで。

 

 

「あさが来た」雁助の旅立ちのシーンでなかなか涙が出ず、自分のせいで撮影が押してしまったと語っていたあきとくんとか!すごく!すきだった!けど!

 

わたしの知らぬ間にどんどん成長してるあきとくんは舞台の上でボロボロ泣いてて。

 

 

わたしは「このひとはジャニーズのひとだったのか」というワードが好きで朝ドラのときもまた今回でもそのワードがきこえてくるのがとってもうれしかった!

だってジャニーズだから!わたしの大好きなひとは誇れるジャニーズ事務所のアイドルだから!みんなに自慢したいし、教えてやりたい。こんな素敵な役者がいるんだぞって!

 

あきとくんは静と動のお芝居の切り替えがすごく綺麗で美しい。

この舞台はそれがはっきりしてて楽しいのだけれど息を吹き返したかのように動のお芝居に変わるその瞬間が圧巻でとってもすきだったな〜〜〜

 

 

 

 

 大千秋楽で大好きなカンパニーに囲まれて感情を高ぶらせていたあきとくんがこの舞台のあきとくんの努力の証でいっぱい愛されている証で。きっとあきとくんにとってもだけど、わたしにとって一生で忘れられない大好きな舞台になりました。

 

ありがとうアマデウス

 

いつかまた思い出せるように。

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